原爆記念日

 8月6日は広島の原爆記念日。そして今日は長崎の原爆記念日だった。
1945年、私は母親と妹、弟と4人で、米子の叔父宅に疎開していた。叔父は、体が弱かったので、前線には出ず、光の通信隊に行っていたようだ。広島には伯母一家が住んでいた。10月に米子から列車に乗って、広島の伯父、伯母宅に見舞いにいった。広島の二つ先の己斐で降りるところを、一つ手前の横川で降りてしまった。

 駅舎は焼け落ち、トイレは屋根もなく便器がむき出しのままだった。辺り一面が焼け野原だった。落ちた橋に市電の線路だけが宙ぶらりんになったいたのが、今でも鮮明に記憶に残っている。途方に暮れていたら、一台のオート三輪が通りかかり、己斐まで載せてくれた。当時はタクシーなどないし、広電も動いていなかったので、地獄で仏であった。伯父宅は原爆の被害にあわず、電器店を商っていた。
 広島の伯父、伯母には子供がいなかった。妹はそのまま広島に居着いて、養女になった。
 終戦の翌年、米子で国民学校に入った。その年の暮れ、ソ連に抑留されていた父親が突然帰ってきた。私にはそれまで父親の記憶は無かった。コレラにもかかったようだが、早めに帰国できたのは幸いだった。
 父親は逓信省に復職し、先に東京へ戻った。その後を追い、小学校の3学期から東京へ転校した。

 広島へはその後何度かいっているが、今月末広島への演奏旅行にさんかすることになり、再訪する。

この記事へのコメント

2008年08月11日 20:32
私の田舎は、広島市から遠い県境の地ですが、その時、ここでも「何があったか」と思うような「揺れ」があったそうです。
どうぞ鎮魂歌の思いで、唱ってきてください。
2008年08月13日 14:24
広島には妹夫婦一家、大学や勤務先の友人も住んでいるので1日前から行くことにしました。
今回はミサ曲ではなく、富士山と民謡ですが、心込めて唱ってきます。

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