アジア太平洋ハーモニカ大会 IN マレーシア 総集編
アジア太平洋ハーモニカ大会の、町田ハーモニカフレンズが出場したカテゴリーは、町田以外の参加チームがなかったため、順位付けがありませんでしたが、審査委員の総合点で、他のカテゴリーのトップクラスと同等との評価で、「金賞」受賞ということになったようです。
次回は2014年、中国・杭州で、また2016年は台湾で開催されます。
今回KLの大会では中国系(本土、台湾)や華僑が運営、出演者の大半を担っていると感じました。
小、中学生の団体が多く出演したのは、学校教育でハーモニカを使っているからでしょう。
日本ではハーモニカを学校教育で使っているのかどうか、よく知りませんが、リコーダーやブラスバンドの方が盛んなのではないでしょうか。
マレーシアのハーモニカ大会に参加を決めたとき、私の元の勤務先の現地法人社長のWさんに、もしかしたら会えるかなと思って、メールをしました。
なんと、今年度(暦年)の決算見込みと、来季の見通しをたてる拠点長会議のため、日本に滞在していたのです。
電話で連絡を取るのは難しいので、メールでやり取りをし、KL滞在中に一度会うことを約束しました。
到着した翌日、ホテルから電話を掛けたら、何度かけても通じません。添乗員から言われ、またホテルの部屋のガイダンスを見ると、9を回してから電話番号をするようにとこと。
オペレーターに尋ねても同じことを言う。
止む無く、グランドフロア(日本で言う1階です)のコンシェルジェのところへ行き、尋ねました。
14階の日ジスセンターへ行けと言う。
行ってみると、ハーモニカ大会のために、臨時休業?誰もいない。
もう一度グランドフロアに行き、キャッシャーに話したら、1リンギット(約30円)を出せという。
1リンギットの札を渡し、電話番号を告げるとつないでくれた。
Wさんの携帯電話につながり、土曜日の昼食を共にすることを約束しました。
なんと今回80名のJTBツアーの部屋別氏名はホテルに登録されておらず、JTBの添乗員が部屋割りをしただけのようだ。
また外線電話は遮断していることが分かったのです。
ちょっと考えられないことでした。
土曜日12時にグランドフロアのフロントへ降りると、Wさんが待っていました。頭に少し白いものが交じってはいましたが、全く風貌は昔のままでした。部屋に電話しようと尋ねたら、JTBツアーの人の名前が登録されていないのですと、彼も吃驚していました。
会ったのは20数年ぶりではないかと申しましたら、十数年前、事故で亡くなった後輩の葬儀で会ったと彼は話していました。
よく覚えていてくれたものです。
私が国際部門に配属になった頃、彼は営業にいました。その後営業部門が国内営業と一緒になり、某自動車メーカー担当、ブラジル、中国へ赴任したことは聞いていました。マレーシアには着任後4年で、単身赴任だそうです。海外勤務していると、子女の教育、就職、老親の介護などの問題への対応上、単身赴任を余儀なくされることもあるでしょう。
ランチは住宅街にある典型的な店に行きました。ラマダンの最中ですから、客は中国系の人しかいませんでした。その後市内の目抜きを案内してもらい、お茶をしてから別れました。
さて、マレーシアのホテルの部屋はとても広かったです。バスルームにはバスタブのほかに、電話ボックスのようなシャワールームがありました。トイレには以前のヨーロッパのように、ビデまでありました。
尾籠な話で恐縮ですが、マレーシアでは左手は不浄な手と言われています。
トイレでは、水道の水をかけ、左手でお尻を拭くのだそうです。
ホテルの共有階のトイレには、水道の蛇口からスパイラルホースが出ていて、それでお尻を洗うようになっていました。
以前、マレーシアに来たとき、汲み取りトイレと思しきところで、水道のホースが設置されていたのを思い出しました。
左手は不浄な手ですから、食事の時も左手は使わないそうです。
KLの空港出発は真夜中でしたが、解団式のあと、飛行機に乗り込みました。
出発後30分で夜食が出ました。また朝6時すぐには朝食が・・・・。
帰りの便は空いていて、また揺れることもありませんでしたが、7時間ほどのフライトでは余り寝た気はしませんでした。
マレーシアにもう2度と行く機会はないと思っていましたが、また行きたくなりました。もし行くとすると7回目かな?
京都にも7回行ったことがあるでしょうか?

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